吹奏楽部に入部し、休み中は朝から夕方まで、サラリーマンみたいな生活だよ、と知り合いから聞いてはいたけれど、実際に大変なのは、本人だけではナイ。のでした。
吹奏楽は夏休み中にコンクールの予選が始まり、娘の通う中学はお盆前の県大会で終了。
今月末にある東北大会出場を狙っていただけに、みんな悔し涙を落としていましたが、
とりあえず、予定通り(^^;)お盆休みに突入。
母も毎朝の弁当メニューをひねり出す役目をしばらくお休みすることができ、
やっと夏休みが始まったような気がしています。
が、気づけば残り一週間とちょっと。こんもりたまった宿題の山。
大丈夫か!?(たぶん、大丈夫じゃナイ・・・)。娘よ・・。
そして娘の部活と入れ替わるようにして、三重から姑が来仙。
春に舅が亡くなり、一人暮らしをしているので、いい気晴らし&避暑になればと呼んだのですが、
前半は申し訳ないくらい、仙台も暑く・・。
しかも、(親子で)働き者。
というより、私ののんびりペースにしびれを切らしてサカサカ働いてしまっているというところか(笑)。
自宅に帰って、体調崩していないといいのだけど(汗)。
義母の滞在中、南三陸へ一泊旅行に行きました。
途中、三本木のひまわり畑と、伊豆沼のハスまつりを観光し、宿泊先のホテル観洋へ。
三本木 ひまわりの丘。
ひまわりの中を自由に散策できます。
伊豆沼 ハスまつり
渡し舟のような船でハスの花の中を周遊できます。
ホテルの客室の窓は志津川湾に面している。4時47分の日の出・・。
客室の窓辺には餌をねだりにウミネコがくる。間近でみられて、子ども大興奮。
志津川といえば、震災で大きな被害に遭った町。ホテル観洋は震災当時、住民の避難所として、町の拠点として、重要な役目を担ったホテルです。
宿泊客向けに、朝一時間ほどの「語り部ツアー」という被災した町をめぐるバスツアーがあり、
子どもたちはイヤだと言ったので、夫にお守りを頼み、私と義母だけ参加しました。
参加する前は、当時を振り返り、悲惨な話、経験を聴くことになると思っていました。
ここに来たからには、と義務を感じての参加でした。
でも、実際は、うまく表現できないのですが、もっと前を向いた、これから起こる災害で一人でも多くの人を救うために、伝えたい、伝えるべきことがある、という強い情熱を感じるお話でした。
私たちが参加した日は観光バス3台に参加者が分乗し、それぞれのバスを担当するホテルのスタッフ(語り部)が同乗し、町を回りながら、当時の状況、今だからこそ見えてきた希望、問題点などを当時の写真を見せながら話してくださいました。
「本当につらい体験をした人は、言葉に出さなくなる。でも、ここで伝えていかなければ、ここに建物があったことを知らなければ、初めからなかったことになってしまう。」
「ここは被災地です。でも、あなたの街は未災地なだけかもしれません。大なり小なり、災害は種類を変えて起こります。ここで聞いたことを、自分のよく知っている場所に帰ったときに照らし合わせて考えることがなにより大事。」
「失われていい命なんてない。ほんのちょっとの心がけで、生死が分かれることがあります。まずは生き残って、最後まで生き抜いて、そして日常を取り戻す。防災の三段階。志津川はまだ、日常を取り戻せていません。」
町の二つあった中学校は、人口流失のために二年前に一つに統合されたそうです。
この町の吹奏楽部の子らは、どんな練習をしているんだろう、
毎日弁当持ちで、やはりサラリーマンみたいな生活をしているんだろうか、
とふと頭をよぎりました。
私たちは、恵まれた環境にいることをどれだけ感謝して日々生活しているでしょう。
毎日弁当を作って、子どもはそれを持って一日中部活に打ち込む日常。
なんてスバラシイっ!
宿題をせずにゴロゴロ過ごす娘に、つい「宿題やれば!?」と言ってしまう。しかも毎日。
思えばこれもシアワセの風景か・・。
(うーん、でもやっぱり、宿題はやってほしい(怒)。)
「自分の大切な人達を守るために、何としても生き抜くこと」
自分の命を、生死を見つめる力の強さに圧倒された一時間。
子どもたちを残してきたことが悔やまれる内容でした。
「千年後の災害で、失う命が無くなるために、子どもたちに伝えてください。」
夏休みの宿題が、私にもできたようです・・。
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