前回のブログから、5回のクラスがありました。
そのうちの一つは、わこねっこの枡江クラスでした。
普段泉中央周辺で活動しているので、あまりなじみのない土地ではありますが、
今回参加してくださった方全員が、以前どこかでお会いしたことのあるみなさんでした。
そのほとんどは、この3月まで枡江でバランスボールのクラスをしていたわこねっこ仲間のnaomiちゃんのクラスに応援に行かせていただいた時にお会いしていた方々でした。
naomiちゃんは転勤のため、この春に転居してしまいましたが、そのときのクラスに通われていた方に、しっかりバランスボールというツールが引き継がれているんだな、と感慨深く感じたのでした。
バランスボールがなかったら、お会いしていなかったはずの皆さんと、偶然ですが再会できたことに、その日、とてもありがたい気持ちで1日を終えることができました。
そして、イズミティ、松陵コミセン、泉社会福祉センターと、さまざまな場所でクラスを開催した1週間。
ここでも、バランスボールというツールを通して巡り会えた皆さんと、短い時間ですけれど
言葉を交わし、お子さんたちの成長を一緒に見守ることができる幸せを毎回感じていました。
私はひとから「いいお母さん」に見られたくて、最初の子育てのときはかなり無理をしていたと思います。
「こんなに子供のためにがんばっちゃってる自分~」に酔ってるってこともありましたが、
いつも周りの目を気にしてたり、自分で自分を評価しちゃったり。
こどもがいい子でいることが、お母さんがしっかり子育てしていることの証明のような気がして、
特に長女には、厳しく大人的な価値観で子育てしてしまいました。
でも、こどもって、本来自分勝手なものですよね。
お友達におもちゃを貸してあげたくない、お菓子を独り占めしたい。
そういう気持ちをもつのは、まったく悪いことじゃないんです。
1歳、2歳でできなくても、そのうち幼稚園や保育園にいって、集団のなかの自分が認識できると、少しずつ、できるようになっていくんですよね。
人に与えられることは大切ですが、自分がほしいとおもうものに手を伸ばせる力はもっともっと大切です。
そういう気持ちを、尊重してあげられればよかったと、少し子育ての先輩になった今の自分は思います。
でも、その時は、ほんとうに必死で、自分が一人の人間の人格を育てているんだ~という気負いもかなりありました。
こどもの前ではクリーンな姿を見せたいから、毒も吐かず、穏やかな言葉で話すよう、「お母さん」のイメージをがんばって作っていました。
ある時、独身時代に知り合った知人と再会したとき、「すごく丸くなったねえ。お母さんになると人はかわるんだねえ」と言われ、すごくショックだったんです。
なぜなら、本当の私は、何も変わってなくて、「お母さん」の着ぐるみの中で、もがもがしているのを誰も気づいてくれないことに、孤独を感じていたからです。
「だってさ、こどもの前で、ダークな話できないでしょ?!毒舌繰り出すわけにはいかないでしょ?!それって、「おかあさん」のキャラじゃないでしょ!」って。
日中、天使のおかあさんを頑張りすぎて、夜、子供が寝た後、ダンナに毒を吐きまくっていたであろう、当時のわたし(笑)。
「俺だってつかれてるんだよ」と言われたこともありました。イヤ、ほんと、お疲れさんでした。
バランスボールのクラスでは、毒は吐けないかもしれませんが(笑)、
家族以外の誰かと話をするにはとてもいい時間です。
そして、「私とうちの子」という一対一の関係でなく、いろんな人の(子の)関わりも生まれてきます。
適度に運動をして、いい汗かいて。
「私」が中心になる時間を少しでも持てること。
そして、いろんなお子さん、いろんな「お母さん」の姿をみられること。
目からウロコ、なこともあるかもしれません。
私の最初の子育てのときには出会えなかった「空間」を、自分の手で提供できることの幸せをかみしめながら
春のひと月が終わろうとしています。
これからも、みなさんとの新たな出会いがありますように。
そして、いままで通ってくださっているみなさんとの新たな発見がありますように。
これからもよろしくお願いいたします。
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